もっと言ってはいけない (新潮新書)本無料ダウンロード
もっと言ってはいけない (新潮新書)
によって 橘 玲
もっと言ってはいけない (新潮新書)本無料ダウンロード - もっと言ってはいけない (新潮新書)をお探しですか? この本は著者が書いたものです。 この本には176ページあります。 もっと言ってはいけない (新潮新書)は新潮社 (2019/1/17)によって公開されています。 この本は2019/1/17に発行されます。 もっと言ってはいけない (新潮新書)は簡単な手順でオンラインで読むことができます。 しかし、それをコンピュータに保存したい場合は、今すぐもっと言ってはいけない (新潮新書)をダウンロードできます。
もっと言ってはいけない (新潮新書)の詳細
本のタイトル : もっと言ってはいけない (新潮新書)
作者 : 橘 玲
ISBN-10 : 4106107996
発売日 : 2019/1/17
カテゴリ : 本
ファイル名 : もっと言ってはいけない-新潮新書.pdf
以下は もっと言ってはいけない (新潮新書) の最も正直なレビューです。 この本を読んだり購入したりする場合は、これを検討してください。
前作から2年以上の沈黙(一般教養書としては)を破っての出版で橘氏健在なのが嬉しい。おそらく最近邦訳出版されたデイヴィッド・ライクの「交雑する人類」にインスパイアーされての出版だったのだろう。著述内容に関してはこれまで国内外(国内は極端に少ないが)で発表されてきた動物行動学、人間行動学、進化生物学、進化心理学、進化人類学、ゲーム理論の紹介を中心に橘氏独自の視点を述べている。多くのレビュアーが指摘するように氏の提示するデータの信頼性に問題があったり、遺伝でのプロモーター(遺伝子の発現を制御する非タンパク質コードDNAで多くの科学者がたとえDNAそのものは複製されるにしてもその働き自体は遺伝しない、子孫に複製されない・・・親の代で遺伝子の発現に関わっていたとしても次世代以降で親と同じように遺伝子を発現したりオフにすることに関わるわけではない、子の代でいったんリセットされるとしている)の役割(エピジェネティックス)についても言及がないなど科学書としては不十分でそれは橘氏の充分認識するところだろう。私は氏がこの種の著書を発表し続ける真意は戦後DNA構造の解明などで科学的裏付けを得た進化論(ネオダーウィニズム)及びゲーム理論が単に生物学の領域にとどまらず歴史や行動・心理・配偶者選択・経済・政治など人間(動物)の社会的活動のあらゆる領域に関わっている(リチャード・ドーキンスの言うユニバーサル・ダーウィニズム)という研究・議論が世界的に活発に行われている中で「日本国」の多くの研究者やNHKなどのメディアが進化を差し障りのない生物学の分野に限定したり、現実から逃避した非科学的・観念的・情緒的な結論に誘導し(昨年放送されたNHKスペシャル「人類誕生」などがその典型、あの番組内容に全面的に賛同する人類学者や科学者などの専門家は一人もいないだろう。もちろん彼らは現代進化論やゲーム理論を理解し認めてさえいるがそれを表明することでの社会からの反発や自身が被るであろう不利益を認識したうえで)、それを「人間の行動は進化や遺伝とは関係なく文化的な基盤しか持たない」と考える多くの「国民」が受け入れたがっているという現状へのいら立ち・批判・啓蒙ではと考えている。その意味で氏の著書の内容が挑発的・刺激的になることも納得できる。また、レビューにある、だからどうなのだ、どうなるのか、どう解決するのかという疑問も的外れだと思う。何故なら進化や差異はあくまで自然選択(自然淘汰)での現段階での結果であってあらかじめの方向性(進歩も含めて)や結論を持ったものではないからだ。その意味で現実を直視することが重要で、そこから何を考えるか、どのような教訓を得ることができるかはある意味個人的な問題だと思う。進化と優生論の関係も現実を無視して一方的に進化及び差異の存在を否定しているだけでは何も変わらない。ホモサピエンスとして分化してから実質的な優生思想が続いたこれだけの長い時間が経っているにもかかわらず世界中共通に一定の割合で「精神疾患に関わる遺伝子群」を持つ人々が存在するという事実は示唆的だと思う。ダーウィンの言う「強いものが生き残るのではなく適応できるものが生き残る」のであるとすれば「精神疾患に関わる遺伝子群」も密接に「生存に有利な遺伝子群」とリンクしていることで選択的あるいは浮動的(遺伝的浮動、偶然性に影響されるので少人数の集団内では淘汰される可能性が大きいがが大人数の集団内では存続し続ける可能性が大きい。ホモサピエンスは一貫してその数を拡大し続けけきたことを考えれば常にこの種の遺伝子群が一定の割合で存在し続けてきた。)だったのではないだろうか、したがってそのような遺伝子群を持つ人々を排除しようとすることは倫理的だけでなく科学的にもまったく意味がない。集団間のIQの差異に関する氏の「仮説」はちょっと勇み足ではとも思う。氏の「日本人のIQの高さは江戸時代の食料供給事情による適応がもたらした」という説は納得できない。封建社会での非常に狭い生活圏・通婚圏の中での「工夫」などほとんどIQの向上には貢献しないどころか停滞や退歩の時代ではなかったのかと思う。明治期以降、特に第2次大戦以降現在まで続く急速なパラダイムチェンジによる通婚圏の拡大や職業選択の多様化などでの遺伝子の交流拡大(そこには当然過酷な競争、淘汰が伴うが)が食料供給事情や医療衛生事情の向上、ロビン・ダンバーの言う時間収支の改善(労働にさく時間の減少)などとともに、いやそれ以上に性淘汰の急激な進行がIQの変化に貢献したのではと考える。「日本人」の平均身長をみても男女とも江戸末期から20cm近く、第2次大戦直後から10cm以上伸びているがその原因を衣食住や医療・衛生・生活習慣などの環境の変化だけに求めるには無理がある(獲得形質は遺伝しないことは科学的に明らかで環境の作用とともに世代交代で身長の高い遺伝子が急速に選択されてきたことも無視できないと思う。)。この列島に人が住み始めてから最初の爆発的遺伝子交流(大規模な男女共の性淘汰の急激な進行。橘氏も指摘する外来弥生人集団と原住縄文人集団との間の遺伝子交流の進行もあったがそれは 千年以上もかけたゆっくりしたものであり性淘汰が急速に、強力に働いたとは言えない。)はつい最近の出来事でありIQの上昇がそれと無関係だとはとても思えない。私はIQを含め体格、肌の色、目の色、身体能力などの集団間の差異は環境もさることながら配偶者選択メカニズムの差異(性淘汰)が主な理由だと考えている。そうでなければ何故自然環境や食料供給事情が過酷な北欧やアフリカに体格の良い人々が今日も繁栄しているのか、寒冷地に暮らす人々が必ず白い肌を持つとは限らない(エスキモーなど)ことの説明はつかない。私は性淘汰での地域的違い、集団間の違い、端的に言えば女性はより安全により良い遺伝子を残すための配偶者選択での傾向や好み、男性は女性獲得に有利になるような男性内での淘汰の違い(地域・集団での配偶者選択における価値観の違いとそれを促す社会状況の違い。たとえば「日本」では評価されている「艱難辛苦」のすえの成功も中南米の国々ではたいして評価されていない。それよりもいかに人生を楽しむかのほうに関心が強い。結果としてどちらが繁殖成功率が高いのだろうか。)が現在でのIQや知的・身体能力の差異、多様な文化、身体的表現型の違いをもたらしているのではと思う。そして直近の「この国」の例にもあるように配偶者選択のメカニズムの変化(性淘汰)は時には急速に進行するものだとも思う。私は進化に関しては様々な「仮説」があるべきだと考えているので橘氏の「仮説」もまた重要だと思う。氏にはその知名度を活かして近い将来に生物種としての「人類」が登場して以降の歩みを真実を隠したりオブラートに包み続ける「この国」の人類学者、生物学者、考古学者、フロイト漬け心理学者や英雄万歳歴史学者への批判をこめて「逆説の人類史」として語ってもらいたいものだ。ダーウイニズムという魅力的なウィルスに憑りつかれた一人として橘氏のますますの挑発に期待している。蛇足ながら橘理論の原点を探りたいなら(おそらく氏はこの著書を読んだことがきっかけでその考えが形成されたと推察している)世界中に衝撃を与えたリチャード・ドーキンスの名著「利己的な遺伝子」、ネオダーウィニズム・ゲーム理論研究の最新状況を知りたいのなら東大出版会の「進化心理学を学びたいあなたへ」を読むことをお薦めする。
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